得意なはずの英語力がいかにも心もとないことだ。翻訳学習者のほとんどは、翻訳学校などでそう教えられるためか、日本語らしい日本語を書けるようにすることが課題だと考えている。訳文の日本語が悲惨な場合が大部分なので、たしかにこの点が課題だとはいえるが、それ以前に、得意なはずの英語力が翻訳はもちろん、英文解釈の水準にすら達していない。外国語読解力の三段階でいえば、第一段階ですら力不足といえる人がほとんどだ。第二段階に達して道具として外国語を使いこなせるようになっている人は数えるほどしかいない。これまでの英語の本を何冊読んだかと質問すると、十冊以下という人がほとんどであり、たいていは学生のときに授業で数冊読んだ程度にすぎない。英語の読解力の点で実力を飛躍的に高めなければ、翻訳学習者は翻訳者にはなれない。ところが、翻訳学習者の多くは語学なら得意だと考えている。自信をもってはいけない点に根拠のない自信をもっているのだ。とくに異様なのは、翻訳学習者が翻訳という仕事にあこがれている点である。翻訳はあこがれるような仕事ではない。苦労は多く収入は少ない。